中国のシングルマザー、「小確幸」への道

中日対照会員エッセイ2

而立会の中国人会員が中国語で書いたエッセイを、日本人会員が日本語に訳す、という中日コラボの試み。
第2篇は、幸せを考えるエッセイです。


我到中年

海霞

  常闻“人到中年,一地鸡毛”,说的是中年的无奈。不知不觉,我也年近中年。

  晚上九点半,爱人上晚班去了,两小只终于进入梦乡。一瞬间仿佛整个世界都消停了。明明应该很困,却丝毫没有睡意。洗漱完后,靠在沙发上,拿出手机,翻翻朋友圈,无意间看到大学同学小聚的照片,一张张熟悉的面孔映入眼帘。是啊,毕业已经整整十五年了。回望过去的这些年,我现在幸福吗?是的,日子平淡却幸福满满。

  2005年大学毕业至今,十多年来,国内国外,北上广深长(长沙),神户东京横滨,辗转多个城市,真正经历了人生百味。说起来,我也是个有故事的女人了。

  名校硕士毕业后,我直接去了日本,在日本工作六年,三十岁回国。迫于剩女的压力,脑门一热,闪婚,怀孕,带娃,两年后毅然离婚。一个人带着年幼的大宝。受过了婚姻的伤,不想再谈感情,只顾埋头工作。因为带娃,工作也先后换了几个。后来在中学做着普通的高中老师,教一帮孩子日语。不曾想这时遇到了大学的师兄,迎来了人生的又一次转机。再婚,又有了二宝。如今,大宝上幼儿园,小宝八个月,时不时生场病,每天忙忙乎乎。三十七岁的年纪,上有老,下有小,工作带娃,手忙脚乱,一地鸡毛。

  不过,我要感谢这一地鸡毛。经历过,才更懂得珍惜。现在对我而言,工作自然重要,但用心经营好家庭,守护好家庭的幸福才是最重要的。

  二十多岁的时候,在日本数一数二的大企业上班,参与着国家级的大工程,经常加班加到赶不上末班车,周末也在家查资料学习,或者在公司加班,从来不请假,也不迟到早退。忙的时候一个月要去海外出差三四次。也曾梦想过去欧美留学。总而言之,脑子里只有工作和理想。

  30岁左右开始,身边的同龄人一个个结婚了,我的心境也发生了很大的改变。比起工作狂似的生活,开始更向往少加班少出差稳定的日子,开始向往有个自己的家。希望能遇上对的他,组建一个温暖的家,一起养育孩子,过上平凡而幸福的生活。然而,那时候的我其实并不懂结婚和家庭的意义。在压力下,我以迅雷不及掩耳之势闪婚了。紧接着,怀孕、分娩、育儿……我迅速从一位别人眼里能干的职业女性变成了一位孩子妈。

  更让人意想不到的是,两年后,我又在亲友圈中扔了一颗炸弹。婚姻破裂,我决定独自带着儿子上班。前方也许荆棘密布,但我义无反顾。手握着那纸离婚证书时,心里无比舒畅,终于解脱了。

  育儿养家的负担落到了我一人身上后,我加倍努力投身工作。为了能兼顾带娃和上班,我辞去了公司的工作,在中学做了一名日语老师。每天把孩子送去幼儿园后赶去上班,放学由托管老师接,下班后再接孩子回家。日子飞逝,忙忙碌碌,却也充实。

  在国内,大家几乎一致认为,三十多岁的单亲妈妈,带个儿子,再婚是很难的。我也几乎断念了,因为害怕从一个火坑跳进另外一个火坑。可就在这个时候,有一个人悄悄地走进了我和儿子的生活。他就是我现在的丈夫,我大学的师兄,还是我的老乡。遇到他,我才慢慢理解家庭的意义。不再是每天疲于拼命,而会多抽空带着娃们去周边走走,看看电影,品品美食。慢慢地,心灵的空间也变大了。没有婚礼,我们的小日子却处处充满仪式感,幸福满满。

  一路折腾,走到今天。走到中年,终于得到了自己的幸福。没有出人头地,只有一地鸡毛,内心却无比满足。

  执子之手,与子偕老,感恩遇见……

  未来的日子里,我也只想紧紧握住他的手,一起守护好孩子的成长,守护好这来之不易的幸福。

2020年8月20日

人生折り返し

海霞

 中国では「人到中年、一地鶏毛【注1】」と巷よく言う。中年になって味わう、いたしかたのない気分のことだ。知らぬ間に私も、まもなく中年になろうとしている。

 夜9時半、夫は夜勤に出たところ。幼い子どもたち二人はようやく夢の中をさまよう。一瞬全世界が静まりかえる。眠いはずなのにまるで眠気を催さない。洗顔歯磨きそしてシャワー、寝る支度を済ませ、ソファにもたれかかってスマホを取り出す。(Wichatの)モーメンツをチェックしていたら、ふと大学時代の同窓のささやかな集まりの写真が目に留まった。よく知った同窓生の顔が目に入る。そう、卒業してからすでに丸15年が過ぎたのだ。過ぎ去ったあの時代を思い返して、今は幸せだろうか。そう。日常はありきたりに過ぎていくけれど、幸せに満ちている。

 2005年に大学を卒業してから今までの十数年間、北京・上海・広州・深圳・長沙、さらに神戸・東京・横浜と、国内外の多くの都市で働き、まさに人生の辛酸を味わってきた。いわば私も「語るべき話」を持つ女性となったわけだ。

 有名大学で修士号を取得後、私はすぐ日本に渡った。日本で6年間働き30歳の時、国に戻った。周りからの結婚を催促するプレッシャーのもと結婚で頭がいっぱいになり電撃結婚し、妊娠、出産。ところが、2年後にきっぱりと離婚。まだ幼い宝物を一人で抱えることになった。結婚で傷ついた私は、もう恋愛しようとはせず、仕事に没頭した。子供がいたので仕事も何度か替わった。その後、普通の高校教師として日本語を教えた。このとき思いもかけず大学の先輩と知り合った。それが我が人生の次の転機となった。再婚し、さらに二人めの子供に恵まれた。今、上の子は幼稚園児、下の子はまだ生後8カ月で、子供たちは始終体調を崩すので、毎日がドタバタと過ぎる。37歳となり、老いた親と小さい子を抱え、仕事に育児にいつも慌ただしく、頻発するささいな問題に取り囲まれた生活だ。

 でも、私はこのあわただしい日々に感謝しなければならない。人生を積み重ねて貴重なものであることが分かる。現在の私にとって、仕事はいうまでもなく重要だ。しかし、心をくだいて家庭を営み、家庭生活の幸せをしっかり守ることの方がもっと大切である。

 20数歳にして日本で一、二を争う大企業に勤務し、国家レベルの大プロジェクトに関わり、いつも終電過ぎまで残業した。週末も家で資料に目を通すか、さもなくば会社に休日出勤。休暇をとったことも、遅刻早退したこともなかった。繁忙期には月に3、4回も海外出張した。そして欧米への留学も夢見た。一言でいうと、頭の中には仕事と理想しかなかったのである。

 30歳前後から同年齢の周りの人たちが次々と結婚した。私の心境にも大きな変化があった。仕事中毒の生活から、残業や出張を減らした穏やかな生活に向かい、自分の家庭をもつことへの憧れが生まれた。自分にぴったりの人に出会い、温かい家庭を築き、共に子供を育てる平凡だが幸せな生活ができたらと願った。しかし当時の私は、結婚と家庭の意義を実はよく分かっていなかった。周りの状況に押され、あまりにも突然に、何の用意もなく結婚してしまった。すぐに妊娠、出産、子育てと、仕事ができるキャリア女性と見られていたのが急に子育てママに変身した。

 もっと周囲を驚かせたのは、2年後、再び私が親族友人たちの輪に投げ込んだ爆弾であった。結婚は破綻、仕事をしながら一人で子供を育てることを決意。先は茨の道かもしれないが、二の足は踏まなかった。離婚証書を手にしたとき心は比類のないすがすがしさだった。やっと終わったのだ。

 子育てと家計の維持が私一人の責任となり、以前に倍して仕事に力を入れた。育児と仕事を両立させるために会社勤めを辞め、高校の日本語教師になった。毎日、子供を保育園に送った後、あわただしく出校する。授業が終わると補習担当教員に引き継ぎ退勤、子供を迎えに寄って帰宅する。日々は飛ぶが如く過ぎゆき、慌ただしい日常だが、充実していた。

 中国では、30過ぎのシングルマザーが子連れで再婚するのは難しいと一般には思われている。火宅の中から次の火宅に飛び込む勇気はなく、再婚はほとんど諦めていた。しかしちょうどこの頃、ある人がそっと、私と幼い息子との生活の中に入ってきていた。その人が私の今の夫である。大学の先輩で、その上、同郷人。彼に出会って、やっと少しづつ家庭の意義が分かってきた。もはや、毎日くたくたになるまでは働かず、子供たちと近くを散歩し、映画を観、おいしいものを食べたりする時間を増やそうとしている。私自身の心も徐々に広くなっていった。結婚式は挙げていないが、私たちの小さな日常は愛情と心配りに満ちており、幸せいっぱいである。

 今日まで紆余曲折のある人生を生きてきた。中年となり、やっとのことで幸せを手にした。立身出世は果たさず、ただただささいで慌ただしさが続く日常故に、かえって心は比べるものがないほど満足している。

 手を携えて共に白髪の生えるまで【注2】、この出会いに感謝して……。

 これからの日々も、彼の手をしっかり握って二人で子供たちの成長を見守り、この得難い幸せをしっかりと守ってゆきたい。

【注1】地面に、抜け落ちた羽根がいっぱい散らかっている様。多くの些細な事柄が片付かずにとり散らかっていることを比喩する。
【注2】原文「執子之手、与子偕老」。『詩経』の詩より引用。

2020年8月20日  (吉村學 訳)

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