【敦煌文書(とんこうもんじょ)】柳川俊之

19世紀末に甘粛省敦煌市の莫高窟で偶然発見された古代文献群を指す。発見者は王円籙(おうえんろく)という道士で、中国古典文化の歴史的大発見と言われている。発見された古代文献は数万点に及び、主に4~11世紀ごろの写本がメインとなっている。文献の大半は漢語で書かれており、チベット語、サンスクリット語などの言語による文献も混ざっていた。中身はほとんどが仏経典だが、一部すでに散逸してしまった儒教や道教のテキストや、唐代以前の日常生活が記録された文書など貴重な文献資料も含まれている。

発見当時、王円籙から知らせを受けた清朝の役人達には価値が分からず、保護措置を取らなかったために、海外の探検家による文化財の収奪競争のターゲットとなってしまった。話を聞きつけたイギリス人、オーレル・スタインが1907年に莫高窟を訪問、わずかの銀と交換に文献を多数手に入れた。その翌年にはフランス人のポール・ペリオが来訪、高価値の文献を買収していった。ようやく清朝は保護措置を取り、残りの文献を北京に収蔵したが、文献を一部隠し持っていた王円籙はその後も12年に日本の大谷探検隊、14年にロシアのオルデンブルグ探検隊に売却した。そして24年にはアメリカのウォーナー探検隊が壁画を略奪していった。こうして敦煌文書の多くは中国国外に流出し、現在でもロンドンに約1万点、パリに約5000点、サンクトペテルブルグに約1万点、日本に約1000点が所蔵されており、北京所蔵の約1万点を大きく上回っている。近年では国際的な研究交流が進み、「敦煌学」という一つの研究ジャンルと呼ばれるまでに至っている。また、新疆ウイグル自治区のトルファンでも古代文献が多数発見され、「敦煌・トルファン文書」と呼ばれるようにもなった。

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